ニーチェの言葉 「超人」



実は、ニーチェについて知っている事を、どのように書いたら良いか迷っている。

私がニーチェの本を読んだ時、それは難しく感じた。その理由は本が古かったせいもある。解らない漢字がズラリと並んでいて、読むのが苦しかった。しかし、同時に思ったのである。

「おそらく戦前の書物だろう。昔の人は頭が良かったに違いない。」






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前置きどうり、  どのように書いたら良いか迷っています。

ニーチェには「超人思想」というものがあります。ヒトラーも影響を受けていただろうと思います。

この「超人」について知っている事を書き残そうと思います。


何故に「超人」を書き残そうと思ったかですが、ブログで「カント」のお話をした際に、やはり「私」という「主体」が大切である事を、せめて私のブログを見る機会がある方々に「サッ」と再認識して頂けると嬉しいという思いからです。


まず、ニーチェは「自分が主体ではない「他者」への福祉は間違っている」と考えています。ヨーロッパで主流の宗教であるキリスト教の「隣人愛」を間違っていると捉えています。

何故、そのように考えるか。結局ですが、他者優先であると自己的な「力」が抑えられてしまうのです。

例えば、私は小学生から中学生の間、ゲームセンターに行くのが大好きでした。

そうすると、「PTA」が黙っていません。友人が捕獲される事もありますし、「PTA」の仲間が家の親に電話を入れて嫌がらせ?を行ったりと大変でした。しかし、あの経験は生きています。もしも、学校の「これはやってはダメ主義」を「善い」と捉えて過ごしてしまったら、胸おどる経験は残らなかったでしょう。

人間が自然のままに欲する欲求を自ら止める傾向は、例えばですが、例にあげた「PTA」等の環境ではしかたない・・・と考える事を、ニーチェは間違いであると言っていると思います。


ピカソの写真を2枚載せさせて頂きました。ご覧になられて、幼少期の自分と、現在の自分と感じ取る世界の違いを感じてください。






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例えば、「白い馬」が「女性」を表しているとします。何を感じられますか?

2枚目のふくよかな複数の女性図を見て、何を感じますか?


人間が本来は持っている「生」という根源を封鎖するならば、人間を破棄する事になります。


人はおごれるものです。普通であれば、おごれる心の持ち主を「威張る」とか、変な人に感じてしまいます。

又、人間の生理的欲求を普通に他者に対して会話できる心の持ち主がいたら、やはり距離を置くと思います。

ニーチェはそれを不自然であると思うでしょう。


本来は感じているだろう自然欲求を止める事が良い事でしょうか。

まず、人間の「生」そのものに目を向ける事。それを塞ぎ止めるものは悪である。

そして、「時間」を超えた存在である事。超人が見つめる世界には「過去」も「未来」もなく、ただ今という世界が、その一瞬を、「生」を込めて生きているのです。
例えば、こんな風です。

宗教だと?フザケルな。宗教ごときが人間を支配できるのだろうか。「占い」だと。玩具にすぎん。

神だと?フザケルな。もともとそんな物はいない。

まだ何に頼るというのだ。

情けない。神は死んでいるのに今度は「資本主義」や「共産主義」に傾倒しようというのか。せっかく神を追いやったのに、なぜに支配される物を選ぶのか。


私の頭の中にある「超人」の言葉を書きました。

超人とは「資本主義」にも「共産主義」にも属さない、今、一瞬の世界を、自己の「生」と共に独立した究極の存在。 


という所で止めておこうと思います。

どのように書いたら良いか迷っていますと冒頭で書きましたが、ニーチェの哲学はその「死に様」に表れていると思います。

ニーチェも超有名な方です。私の文章よりも理解できるサイトが沢山あります。


自己とは「生」の中にあり、言い換えれば、主体を大切にする事こそ「生」です。主体的存在が不安定ですと、自然という客体に飲み込まれてしまいます。「生」を大事に欲求する事が、人間本能の最も重要な部分です。それをコントロールできたら更に良いと思います。

私の書き留めた「超人」の思想が、少しでもお役に立てれれば幸いです。


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